学校に行きたいのに行けない君へ。(不登校、いじめ、心の問題)


この記事を読んでいるということは、
君は学校に行きたいのに行けないということかな?
なんで学校に行けないのだろうか?

そもそも本当に学校に行きたいと思っているのだろうか?
自分の気持ちを考えてみてほしい。
実際行きたくないだろう?

その行きたいという気持ちは本当に自分の気持ちだろうか?
行かなければいけないという親や先生の押し付けではないだろうか?

本当は行きたくないから行けないのだろう?
自分の気持ちに素直になってほしい。

死んでしまえばそれで終わりかも知れない。
それは確かに不幸な感情を味合わなくて済むししんどい思いもしなくてよくなるというメリットもある。しかしそれ以上に身震いするような幸せも失ってしまうんだ。

そして幸福というのは、差があってこそのものなんだ。
毎日ステーキを食べている人は晩ごはんでステーキが出てきたも大して喜ばないだろう。
彼らが幸福を味わうためには高級ステーキ、または超高級ステーキがないといけない。
それに比べて、お金がなくて毎日白ご飯だけを食べていた人がステーキを食べたらどうなるだろうか?

それと同じで、人生でしんどい思いをしている人の方が幸福を味わう事ができると思うんだ。

確かに人生のどん底というのはいつまでも続く終わりの見えないトンネルのようなものだ。
そりゃ一生そんな不幸が続くというのなら死を選んだ方がマシだ。
でも人生そんな不幸が続くことはまあない。

しかし不幸から抜け出すためには勇気がいる。
一歩踏み出さないといけない。
もしかしたら自分が幸福になることに罪悪感を覚える人もいるだろう。

だからこそ一歩踏み出してほしい、自分が幸福になることを許してほしい。

あなたにとっては幸福が悪いことをしているように感じるかも知れない。

でも僕が考えるに、人というのは幸福になるために生まれてきている

でも世の中には幸福になれない人もいる。
一見矛盾しているように思うかも知れないが、そんなことはない。
幸福になれない人は、幸福になれないのではなく幸福にならないように努力しているからだ。

じゃあ幸福になるためには幸福になるための努力をすればいいのか?と聞かれそうだが、
そうではない。
幸福というのは努力してなれるものではないからだ。
幸福というのは何かに一生懸命に熱中することで生まれてくる。

何か趣味に熱中している時は楽しいだろう。
その趣味をしているのは楽しいからだろうか?
そうではないだろう、熱中しているから楽しいのだ。

その逆に癒しを求めたりストレス解消を求めて始めた趣味は長続きしないだろう。

幸福もそれと同じだと思う。

だから幸福を求めて行動するのは無意味だと思うし、
そういう人間はほとんどの場合不幸になると思う。

幸福は求めているものにはやってこない、何か別のことをしている間に
こっそり背中から見守ってくれるものだと思うんだ。



いろんな言語
korekarakoreをフォローする
暇人大学生の日記

コメント